2015年4月28日火曜日

automatiquement

「あの、すみません。今、ここケアンズで何時ですか?」
「9時40分ですよ」
「あれ、ブリスベンから来たけれど夏時間か何かで時差があるのかと思ってた」
「わたしもブリスベンから。同じクイーンズランド州ですよ」
「そうなんだ、大きい国!」
「どこに行くの?」
「日本です」
「国籍は?」
「日本です」

あら、日本人なの?ということでここからは日本語で。
ブリスベン住んでもう20年になるという彼女は
家族を置いて一人で行くのは今回が初めての一時帰国。
外国に住むのは楽しいよ、けどちょっと疲れちゃって、と。
ニュージーランドもスコットランドもアイルランドも
行ったことがないからいいな、って。日本に帰るのは二年に一度かな、とも。
もしかしたらそんなに年は変わらないのかもしれない。
細くて華奢な彼女が若いうちに意を決して海の向こうに旅立った強さを羨ましく思う。
「うちは北海道なんだけど叔母さんが長野にお嫁に行ってね
山があっていろんな果物があって長野に行って本当によかった」って。
そうなのかな、北海道も果物が採れるところはあるんだけどなぁと思いながら
自分の居るところの良さ(白馬は寒いので果物は採れないけど)
恵まれた状況にあることをこのやりとりで気づかされることはありがたい。

「オーストラリアの人はどう?親切?」
何回かカースティーのお父さんに訊かれた。
彼のスコットランド訛りと人柄もあって
路上でちょっとしたことで話が弾む感じが
一緒に過ごしていてオープンで素敵だなと思う。
親切ですよね。あたたかい気候だからかなぁ」
そうとも言えるけど、スコットランドでもバスなんか乗っていると
必ずどこ行くの?って声かけられて話が始まるでしょ。
飴ちゃん持ってたらそれを隣の人にあげたりね」
そういえばスコットランドではたしかにバスに乗っていて話しかけられた!
日本でも西の方のひとは必ず飴ちゃん持っていて人にあげたりしますね」

そのお父さんに感化されて
そのあと信号待ちで一緒したおじさんが微笑んだからちょっと話してみたり
美術館前で座ってたら不意に話しかけてきたインド人の兄さんの
話に警戒しつつも合わせてみたり
きれいな夕焼けだったから前に歩いている人を追い越しざまに
夕焼けきれいですね」って言ってみた
その後着いた宿の兄ちゃんが「すっげー夕焼けだよね~」って
声かけてくれる感じがなんだかうれしかった

北海道出身の方とはそれぞれ行き先も違うから少しの間だったけれ
なんだかからっと明るく気持ちよくお話してお別れできた気がした
もちろんいつだって相手の力量が大きいのだけれど
素敵な方にお会いできるのは少しは自分の状態が良くなってきてい
バロメーターじゃないかな


お店に入ったりしたときに店員さんとかに話しかけてみたりするといいですよ」
誰かに言われたけれど、それ以前からそんなふとしたきっかけが
マジックのように働いて仲良くなってあちこちにいる友人はわたしの宝物。
ただ単純に、何の期待も意志も意図せずにオープンでいてこちらから動くこと
楽しい「今」という感覚を信じるだけ。
そうすればきっと、これからの毎日も旅先のように
自分が動くだけで楽しみが生まれる。

そうしてどうして「期待」を持ってしまうと
物事はスムーズに運ばなかったりするのだろう。
いつもハートの感覚に素直にいきたい。
とはいえ、期待と不安のはざまで動けなかった過去のことを思い出しては後悔したり。


次こそは、カラッとオープンで。すべてを神様にお任せして、全自動で。
もちろん「努力なしの楽しい努力」とともに!